新シリーズ!世界を変えた科学の偉人たち!
こんにちは、アルギニンです。投稿が遅くなり申し訳ありません。今回から不定期で(気が向いたとき)シリーズ、世界を変えた科学の偉人たちをお送りします。
私が話すだけなのも味気ないので今回は2人の案内人に来ていただいてます!
フェニルさんとリジンさんですどうぞー
皆さんこんちにはー
先程紹介にあがりましたフェニルですわ
同じく紹介にあがったリジンだぞ
よろしくお願いしますわ(ぞ)
さて記念となる初回誰を紹介するんだぞ?
初回に、ふさわしい方をご用意しましたわ
誰ぞ?
ニュートン!りんごの人ぞ。って何した人ぞ?
あら、ご存知なくって?万有引力をはじめとした様々な発見をした方よ。近代物理数学の父とも呼ばれるわ。彼がいなければ現代文明は成り立っていなかったわね。
そんなにすごい人なのかぞ!もっと教えて欲しいぞ!
いいわよ、耳の穴かっぽじって聞きなさい。
ニュートンは1642年のクリスマスにイギリスのウールスソープという村でで生まれたということになっているわ。でも当時のイギリスは旧暦を使ってたから新暦に直すと1643年の1月4日になるわ
めんどくさいぞ…
しかたないわ、暦の問題だもの。
で、ニュートンはどうなったのかぞ
そうね。実は、ニュートンが生まれたときには父親がいなかったのよ。既に死んでいたわ
ええー!そうなのぞ!かわいそうぞ
でも、これがなければ今のニュートンはいなかったとも言えるわ。
どういうことぞ?
3歳の時に母が再婚してニュートンとは離れ離れになったの。代わりに祖母に養育されることになるわ。そして1655年には親類の薦めもあってグラマースクール、まあ学校ね。に入学したわ。この時母親はニュートンの才能には気づいていなかったわ。
学校に行ったのかぞ!たのしそうだぞー
まあ、楽しいだけじゃないけどニュートンに多大な影響を与えたのは確かね。ニュートンの家から学校は遠かったから、母の知り合いの薬剤師のクラーク家に下宿してそこで薬学関係の本に興味をもったし、あるとき彼をいじめた子と、喧嘩をして勝ったのをきっかけに自信を持つようになったりもしたわ。
壮絶な学校生活だぞ…
でも彼が14歳の時母が帰ってきて学校を辞めさせられて農作業をやらせようとしたのよ。
なんで今更帰ってきたんだぞ!
再婚相手の離婚よ。母は元夫の農園を営むことを考えてたみたい。
都合が良すぎるぞ…
でも、ニュートンは農作業をほっぽり出して、下宿先のクラーク家に行っては化学書をよんだり水車作りに熱中したわ。
すごい子供だぞ…
結果母はケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学ぶように薦めることになったわ。
母の心もおったのかぞ。かっこいいぞ。
そしてトリニティカレッジに入学して様々なことを学ぶわ。そして良き師であるアイザック・バローに出会い思想に大きな影響を与えるの。
へー、有意義な大学生活だぞ。俺とは違うぞ。
ええ。リジンも見習いなさい。あなた今季4つも単位落としたんでしょ?
痛いところを突いてくるぞ…
そして、大学で得た知識を広げ、後に三大業績とも呼ばれる発見をし驚異の年ともよばれる出来事が起こるわ。
何があったのかぞ?
ペストの大流行よ。
ペストの流行ぞ⁈
ええ、当時1665年ごろから起こったペストの大流行で流行が特に大きかった約1年半の間に約10万人が死亡。これは当時のロンドン人口の4分の1とも言われるわ。
恐ろしい病ぞ。まるで今のコロナウイルスを見ているようぞ。
リジンにしてはいい目の付け所ね。まさしく状況は現在にに似ているわ。約1年半の間大学も閉鎖されて自宅待機を余儀なくされたの。当然ニュートンも故郷に戻ったわ
1年半!3ヶ月でもキツかったのに、1年半なんて精神が崩壊するぞ…
でも、その間にニュートンは大学で得た知識をじっくり思索したわ。その結果ニュートンは流立法。現代の微分積分を発見したわ
ええー!
それだけじゃないわ、プリズムによる分光実験。つまり光と色の理論をまとめ、
まじかぞ!
さらには、万有引力の法則も全てこの1年半で発見したと言われているわ。
おかしいぞ!どんな生活してたらそんなことできるのかぞ!
圧倒的な興味とそれに足る知識があったからこそね。まあ、天才だったのよ
そしてその後ニュートンは、1969年大学での師であるバローから教員の職を譲り受け、プロの学者として、安定を手にするわ。
すごいぞ!教授にまでなったのかぞ!ニュートンの講義なら聞いてみたいぞ。
残念ながらニュートンは学生には不人気だったの。講義は難しすぎて理解できなくて、参加者0人ということもあったり、討論しにくる学生もいなかったそうよ。
天才すぎるぞ…
ええ、天才が故に教育者として向いていなかったのかもしれないわね…
そしてその後ニュートンは王立協会に所属。初の学会とも言えるわ。そしてそこで、光学理論を契機として様々な分野において初のライバルであるロバート・フックと対立するの。
フックの法則の人だぞ!
ええ、彼もまた魅力的な偉人の一人なのだけど彼の紹介はまた今度にしていただくわ。ニュートンとはいろいろな面で対象的な人よ。
そうなのかぞ。楽しみは後に取っておくぞ
そうして頂戴。尺とかまとまりとかこっちにもいろいろあるのよ…
メタいぞ…
そして、彼との戦いは15年近く続き、様々な理論、論文、出版物で争った結果、フックが先に死ぬことで決着が付いたわ。
ニュートンの生き残り勝利だぞ…
そしてその後は国会議員になったり1703年に王立協会の会長に就任したりいろんなことをするわ。
まさにあらゆるものを手に入れているぞ…
ちなみにニュートンは死ぬまで王立協会の会長だったそうよ。その頃は規則尽くめの厳しいものになっていたわ。
ニュートン厳しい人なのかぞ…イメージ崩れたぞ…
ええ、イギリス科学会に君臨し、ニュートンの怒りに触れると大変だったそうね。
当時のイギリスに生まれなくてよかったぞ…
この頃、ニュートンはライプニッツと微分積分法の発見で対立。フラムスティードとは月の観測データを求めて対立したわ。結局今回もまた先にライバルが死んでニュートンが勝つんだけどね。
ニュートンタフすぎるぞ!
ちなみに、微分積分の記号はライプニッツが考案したのを使われているわ。わかりやすいからね。
ある意味ニュートンの敗北ぞ。
そしてニュートンは80歳になっても気力体力はおとろえなかったけど、結局85歳でその生涯に幕を下ろしたわ。興味と知識、その2つが揃ったからこそ現代に繋がる発見ができたのだと思うわ。
これがアイザック・ニュートンよ
まさに天才だったんだぞ。
あなたも家で遊んでばかりいないで、自宅待機を利用し、世界を大きく前進させた彼の姿を見習いなさい。
よし!俺もニュートン目指して毎日りんごの木を見ることにするぞ!ピュー…
あっ、ちょっと待ちなさい!しかたないわね…リジンはいないけど…
ご閲覧ありがとうございました!
次回の投稿は2週間後を予定しています。では!さようなら!